2008年09月29日 18:44

いかがお過ごしですか。

 いかが寝過ごしですか。
 先週の23日の祝日は寝過ごした私であった。

 その日、お彼岸の中日はニコリにとって、大イベントがあった。倉庫の引っ越しである。 
 会社から200mの場所にある35坪の倉庫を引き払い、会社から100mの14坪の物件に、なんと11万冊近くを、なんと業者を頼まず、社員の男ども(10数人)だけで行った。
 旧倉庫から新倉庫までは200m、歩いて3分だが、ここは一方通行ばかりなので、クルマでも3分。
 4000梱包を、2台のレンタカーで運んだ。
 では問題です。どういう位置関係でしょう? ではなくて。

 ノブの号令一下、朝10時からスタート。したらしい。私はその日、明け方まで飲んでいたので、14時半から参加。ごめん。
 結局、各レンタカーは20往復、延べ40往復のピストン輸送で、16時半までかかったのだった。
 そのあとはみんな、居酒屋で「おつかれさま」のつもりが、会社の会議室でビールを開けたら動けず、近くの銭湯から帰ってきたらもう動けず、出前で済ませた。
 私が言うのもまずいが、社員全員でやったのがよかった。

 夕方からの宴会では、突拍子もないバカ話に花が咲いて、なんかブログ40回くらいもできるネタ、ヒントがポンポン出て、メモしておけばよかった。ああ。

 会議室のテレビで、女子の野球チームが映ると、いきなりノブが「女子って何才まで使うのかなあ」。面白い。と、すかさず、くんぺいが「ずっとだよ。女子トイレ、男子トイレって言うじゃない」。うまい。

 相撲中継になると、TMが「あれ(四股名)はサガツカサです。この蒙虎浪(モウコナミ)って阪神ファンなのかなあ」。面白い。みのわっちとまりが「モンゴルの関取です」。ほほう。
 TM、刑事イシー、くんぺいあたりが、外国人の四股名、大きな名前の話で盛り上がっていく。「英ノ国」だったらイギリスだなあ、とTM。「琴欧州」ってホントにでかいね、とくんぺい。どさくさに紛れて私がTMに「大往生」っていう名前、どう? くんぺいが「大団円」の方がいいよ。おおう、いいや。
 こうして数人は深夜の1時半まで飲んだのだった。

 歴代(?)の倉庫のエピソードは数知れず。今度の倉庫の責任者はユーコだ。今回のバケツリレーでも、後半は指がマヒ。梱包を落とす度に「あ、ユーコに怒られる」「ああ、ユーコに怒られる」「あ、怒られた」で運んだのであった。


 これから「今井」です。名刺の肩書きが「日本一」のももちゃんと打ち合わせか。因みにユーコの肩書きは「お庭番」。渡されたお客さん、みなさん声が出ず、質問もできず。シャレもここまでにしておこうか。

#id08090009 | ニコリ | posted by 鍜治真起

2008年09月22日 18:26

宮城県に惚れた。

 先週の金曜日は伊勢佐木町で、イベントの打ち上げ。ユーリンドーのイチローが、また面白い店に連れていってくれた。
 二次会が和食屋だったのだが、気がついたらわたくし、そこで大将にレッド・ツェッペリンの「天国への階段」をリクエストしていたのだよ。
 客は私たちだけ。大将がギターを弾いて。カラオケではなくて。まあ面白かった。飲みすぎた。

 土曜日の夜は、古川(宮城県)の中・高等学校で講演が終わったあと、鳴子温泉(宮城県)で宴会。教頭先生とPTAの方々が参加してくれて。
 昼間の講演は300人のはずが、なんと470人。たまげました。体育館の舞台(?)に上がったとたん、二日酔いが醒めた。
 実のない話をきちんと聞いてくれて、みなさん、ありがとう。自信がつきました。
 夜の宴会で主催者の方に言われた。
 「今までで初めてなんですよ、講師の方と夕食を共にするというのも、しかも温泉というのも」
 うれしかった。

 銀座の飲み屋で知り合ったモンちゃん(46才、納豆屋の社長)がこの学校のPTA会長で、彼が企画をし、トントンと決まってしまったのだった。PTA会長だなんて、行って初めて知ったよ。
 彼とはまだ10回くらいしか飲んでない。こんなこともあるんですね。
 彼と学校の決断と実行力に感謝。

 昨日は彼のイエに行って。納豆工場見学もして。
 仙台平野のたんぼは黄金色に輝いていた。
 低い山々には、霞のような低い雲が水墨画のようにたちこめて。
 ここの夕焼けはサイコーだろうなあ。
 また来るぞ。


 あ、来客。これから飲み屋でホームレスのことを考える。

#id08090008 | 出張 | posted by 鍜治真起

2008年09月18日 18:57

気配。

 1カ月くらい前の夜、新宿駅西口の売店で「夕刊デイリー」を手に取り、小銭がなかったので千円札を出し、取り引きをしようとしたら、中のおばさん2人とも背中を向けて仕事をしていた。別々な仕事だった。
 その売店は大きな広場に面していて、人通りが多い。
 ハタと思って、声を掛けず、待った。
 次の客は新聞を取り、コインを投げ、去っていく。次の客も同じ。
 私は、も少し待ってみた。声を掛けずに。
 (おばさん、いつ気がつくのだろう、面白くなってきた)
 結果は私の負け。しびれを切らして声を掛けた。ふーむ。

 それから数日後、コンビニで水を手に取り、レジへ。レジに着いた。客は私1人。
 おばさんと若い女の子がレジの向こうにいた。私に気がつかない。
 (いつ気がつくのだろうか)
 結果はまたも私の負け。「お願いします」と言った。ふーむ。面白いかも。

 混んでいる中、特にターミナル駅などで、全方向からすれ違うことになる。周りと同じ歩く速度にすると、ラクにすれ違える。
 その中で、イヤホンをしている連中はひたすらまっすぐ突き抜ける。
 ケータイを見ながらの歩行者もまっすぐのイノシシ状態。

 「気配」というコトバを最近、考えることになった。

 話は横道に。
 雨にもいろいろある。小雨、大雨、しとしと雨、ザアザア降り、etc。
 雨が降る前は風が吹く。さあーっと、生ぬるかったり、肌寒かったり。
 地下道、地下街が発達して、地上に出たときに「雨が降ってきた」はちょいと違う。

 天気は雨と晴れと曇りだけではない。気温も数字だけではない。

 ジミーと飲んでいて何軒目かに私は「牙を抜かれている」と言った。「そうだよなあ」とジミーが言った。また話に花が咲く。
 日々のラッシュアワー、大渋滞があたりまえになっているからだろうか、「素朴な気分」より「浅い感情」が中心になっている気がする。
 話はどんどん、カッパする方向に。

 「気配」「勘」「ひらめき」…。こっち方面のコトバが大好きだ。
 「職人」「腕」「技」「伝統」「語り部」…。このあたりも。

 10年後の世界共通「予報」は、気象ではなく、電気予報、オイル予報になっているのだろうか。つまらん。


 これからノブ、ジミーへの来客と飲みに。明日はイエの引っ越しのあと、初日から泊まらずに出張です。ああ。

#id08090007 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起

2008年09月17日 20:07

安らかに眠れ。

 今回のオールスター競輪で、栃木県所属の、切れ味鋭く豪快な走りをする内田慶選手(27才)が落車し、他界した。
 13日の土曜日。京王閣に行くと、正門脇に内田さんへの献花台があった。彼の遺影の前には、花束と缶ビールが供えられていた。手を合わせた。

 15日の月曜日。京王閣へ。一宮競輪場でのオールスターの決勝を見て、帰りに献花台を通る。そこには缶ビール、缶コーヒー、花束が前々日の1万倍、供えられていた。合掌。

 トナリのじいさんがボソッと言った。
 「若いヤツは死なせちゃいけねえ」

 競輪もパズルも娯楽である。エンターテインメントの業界だ。ファンの笑顔、ファンが喜んでもらえることを追求する。しかしそこにもアクシデントはある。
 献花台を設け、場内のモニターすべてで、黒地に白い文章で「献花台がある旨」を告知した競輪界にホッとした。
 開催を続けた5日間、いちばんキツかったのは選手たちだろう。熱戦の中、内側の人たちのせめてもの「血が通った実施」が感じとれた。精一杯のできること、落とし前がそこにあった。立派だ。


 今週末は東北の学校で、300人の若者に講演をします。

#id08090006 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起

2008年09月10日 19:04

カタカナ語。

 おとといは台湾から来たユーさんと旧交を温め、サイコーな晩だった。「ユー」は「遊」の「シンニュウ」を取り、「サンズイ」を付ける。ジミーと、ユーさんの奥さんとで4人。 
 御徒町のガード下から始まり、サイゴは関取ママのスナックで。(実はそこに、現役のJRA騎手もいた)。

 ユーさんとは30代後半に知り合い、もう20年になる。
 ジミーがその頃、合金(部品)の会社にいて、東南アジアを飛び回っていたときに、私がジミーを訪ねて台北に遊びに行ったときに紹介された。ユーさんはジミーの海外でのパートナーだった。ユーさんは35才、私とジミーは38才だった。
 まあ、目茶苦茶飲んだ時代だった。
 ジミーはユーさんの右腕(リンさん)と2人で、毎日、朝から夜まで仕事(営業)。
 ユーさんは朝から晩まで私に付き合ってくれて、遊び。
 夜にジミーが帰って来て、合流、毎晩3人でハシゴ。

 ユーさんは世界一、酒が強い。
 その頃、台北のクラブで、ウィスキーを5本いれると、4本分の値段でいい、というサービス期間があった。(日本では考えられない)。ユーさんはそのとき、20本いれて、1カ月で空けた。酒、遊びのエピソードは数知れず。人生で、ユーさんとのバカがいちばん多く、濃く、迫力があった。
 台北からクルマで2時間の、汚い料理屋で、1m以上もあるオオサンショウウオを抱かせてくれたのもユーさんだ。私は立って抱きかかえて、周りの客は逃げていった。ユーさんと店のじいさんだけが大喜びしてくれた。

 ジミーも久しぶりの再会。ジミーとユーさんの絆は太い。
 ジミーはみるみる北京語、台湾語がよみがえってきたらしく、途中から2人はずっと、チャイニーズ。私はせいぜい、シェシェ、ブカチ、メンヨー、メーカンシー。
 ケンチョナイヨ、ケンチョアルヨ、で2人が大笑い。何? 今の? と聞いたら、ケンチョナイヨは韓国語で、ケンチョアルヨは日本語にした勝手語だという。へええ。

 カラオケはユーさんがオハコの「港の五番町」「島田のブンブン」をいれれば、ジミーは、3人で台北を飲み歩いた頃のヒット曲を北京語で。
 「カジさん、これからはネ、ユージョーとケンコー、友情と健康ネ、ワカタ?」と、また一気。ユーさん、また会おう。


 これからヒゲモジャのトシキとどこかへ。

#id08090005 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起

2008年09月08日 18:24

時事ネタ。

 時事ネタの面白さは、時々刻々の変化にある。時代背景や人間模様が露出して、そこに当事者、部外者、外野が一体となって、ムーブメントをつくりあげていく。政治しかり、経済しかり、スポーツしかり。

 私が意図的に時事ネタから離れたのは20年くらい前だろうか。時々刻々の変化についていけなくなったこともある。いろんなことを個人的に見直したこともある。
 20年前、ふと気がつくと、飲む相手が毎日違うのに、いつも同じ時事ネタの話で盛り上がっていた。
 ポン。
 そうか、それなら時事ネタは他人にまかせよう、私は情報だけいいとこ取りにして、私は個人的に興味のあることだけをしゃべろうっと。
 そう決めたら自然に新聞、テレビなどから縁遠くなった。


 私は子どもの頃から相撲、野球が大好きで、世代共通の「必須好き科目」だった。
 中学でテニスにのめりこんだある日あるとき、それがマイナーなスポーツであることに気付き、競馬にはまったある日あるとき、それが偏見のジャンルであることに気付いた。それはそれでおしまい。

 
 1980年、パズル通信「ニコリ」を世に出したとき、クロスワードにいれる単語(コタエ)に、時事ネタの単語は使わないようにしよう、と決めた。この理由は単純です。いつ買っても解けるクロスワードでいてほしいから。
 もう一つ。3人とも時事ネタにうといのでした。芸能ネタもうといのでした。


 これから台湾から来たユーさんと飲みに。前回の歌舞伎町以来だから8年ぶりか。ジミーの朋友で、世界一の飲んべえ。30代のときに知り合った。今晩は時事ネタではなく、じじいネタで盛り上がるとするか。

#id08090004 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起

2008年09月05日 19:00

ふらふら、ふわふわ。

 この年でふらふらしている。あっちにふらふら、こっちにふらふら。
 場所でも、アタマでも、時間でも。

 恵比寿の焼鳥屋でシーサーと飲んだとき、隠れ家の話になった。
 「子どものとき、何か集めてきて、隠れ家、つくりましたよねえ」とシーサー。
 「そうそう、オレは公園のケヤキの上に、家をつくった。1人しか入れないの。あった、あったなあ」と私。
 シーサーは個人会社。自分のショップが隠れ家かもしれないなあ、と。

 居心地のいい場所を誰もが求めていて、大多数の人は、居心地のいい場所がある、持っている。

 さて、では自問自答です。
 「居心地のいい」というのは、特定の確定した場所なのだろうか。その時間のある場所、ある空間でもいいのではないか。
 こどものときは、樹の上が「居心地がよかった」。
 学生のときは、競馬場が「居心地がよかった」。

 ある人は、蕎麦屋をやっていて、毎日、そば粉を農家まで取りに行く、そのクルマの中の時間がいちばん充足していて、「居心地がいい」と言った。
 私は鈍感なので、どこでも、どの時間も居心地がいい。


 ふわふわ。これからモンナカへ飲みに。

#id08090003 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起

2008年09月04日 17:13

かけないリクエスト。

 昨日、おとといは「かかないブログ」をお届けしました。

 5,6,7,8年前か、文化放送(ラジオ)で、午前中に、えのきどいちろうがパーソナリティの帯番組があった。
 その中に「かけないリクエスト」というコーナーがあった。以下、えのきどさんのしゃべりを、あらあらうろ覚えで。
 「ではリクエストのハガキを紹介しましょう。『黛ジュンの「雲に乗りたい」をかけてください。私が中学校のときに初めて買ったレコードです。よろしく』。ぼくはこの頃、何をしていたかなあ。ほにゃらかほにゃらか。では、リクエスト曲、ハガキに書いてこちらまで。宛先はこちら」で終わる。
 結局、曲を流さない、かけないのだ。
 私には画期的で、サイコーだった。
 
 音楽って不思議な力をもっているなあ、と思った。
 知らない曲はアタマに流れてこないんだけど。しかし何かが伝わってくる。


 28年前、パズル通信「ニコリ」を始めてすぐの頃、勝手に「ニコリ平面放送局」というページをつくり、DJ気分で、私の好きな曲を流して(?)いた。
 「では次の曲にいきましょう。キャロル・キングの『タペストリー』というアルバムの中から『ユーヴ・ゴッタ・フレンド』を」などと、書くだけ。そんでリクエストも受け付けた。

 その頃、パズルファンってどういう人たちなんだろう、手探りだから分からなかった。像がつかめなかった。
 よし、それなら自分を出してしまえ、音楽の趣味を出してしまえ。そしたら相手も自分の好きな曲を書いてきて、音楽の趣味で少しは読者像が見えるかも。そんなカンジだった。 
 これは楽しかった。DJの名前も、子どもの頃にTVで見ていた「突撃マッキーバー」の名をそのまま拝借した。正に極私的なページだった。

 音楽は言葉にしなくていい。言葉にしてもいい。そこが面白い。


 さて、どこに行くか。今週末は1泊2日で読者と遊びすぎます。

#id08090002 | ニコリ | posted by 鍜治真起