2013年03月28日 17:19

不健康診断。

 先週は年に1回の不健康診断。前日に酒を抜いたが、結果はボロボロだと思う。数値はみんな高値安定。先生にも見放されていると思う。

 そんで先週末からずっと宴会。来週の水曜日まで続く。すべての花がきれいだから仕方がない。木曜日のアメリカ便でぐっすり寝ようっと。

 かみさんが言った。
 「ったく信じられない。ころっと行っちゃえば」
 ここでも見放されている。

#id13030005 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起

2013年03月25日 12:47

福山参り。

 ちょっと「も」が続きます。東京駅も、中央郵便局も、東横線渋谷駅も、小田急線下北沢駅も、出雲大社も、伊勢神宮も、阪神電車三宮駅も化粧直しして再開(?)という、この年に、福山(広島県)参りをしてきた。福山競馬場が終わるというので。

 昨日をもって福山競馬場が廃止になった。30年前、全国の地方競馬場行脚をしていた頃、福山、姫路で走るアラブ馬には元気をもらったものだった。連闘、連闘で出走するアラブ馬たちはタフで優しかった。サラブレッドと違って、アラブ馬は安価でこわれなかった。扱いやすくて「人の隣り」にいるカンジ。親近感があった。速くないので楽しかった。
 競馬産業に向いていた。福山もそのメッカだった。
 今、競馬でのアラブ馬は1頭もいない。

 私の行った理由は、郷愁と、競馬場に貸しがあるので、それを取り戻して大勝ちするということ。
 まったくなあ。またやられた。結局、寄付で終わってしまったよ。

 女性アナウンサーが言っていた。
 「戦後復興60年。今までありがとうございました」
 あの頃の大賑わいを一瞬、感じたが、しばらく場内に立っていると、当時の熱気には程遠いものに映った。

 公営ギャンブル(競馬はちょっと除外)はすべて、戦後復興の娯楽として始まった。ほとんどのギャンブル場が60数年経っている。
 福山競馬場のハコも疲弊していて、廃止もやむなしか。残念。


 昔の思い出に沿って、福山駅から歩き出した。ところがあなた、一向に着かないではないか、競馬場に。通りがかりのおっちゃんに尋ねたら「まだまだあと20分くらいあるじゃけんな」。
 ホントかよ。若かりし頃のトホ35分は「すぐそこ」と感じていたのだろうか。

 ま、仕方がない、と昼に市内をくねくね。
 そしたらなんと、アマノフーズの本社を見つけてしまった。わおっ、ビッグ・サプライズ。天野実業株式会社ではないか。こんなところにあったの? わおっ。
 私はここ数年、外国に行くときの必需品がアマノフーズの「フリーズドライ味噌汁」なのであった。これがまたうまいのなんの。絶品の味なのである。
 そうだったのかあ。世界一の味噌汁がこんなところ(失礼)から生まれたのかあ。神様ありがとう。来てよかった。
 福山競馬場、ありがとう。外国でアマノさんの味噌汁をいただくときはアラブ馬を思い出すよ。

#id13030004 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起

2013年03月18日 12:41

駅。

 東横線の渋谷かまぼこ終着駅が先週末に役目を終えた。そこは学生の頃、毎日利用していたこともあった。茅ヶ崎の自宅から日吉の大学までを定期券で買い、東横線の渋谷駅はキセルで通過していた。1枚の硬い切符を使い、6カ月後にはその切符も黒ずんでいた。当然、ある日あるとき、むんずと腕をつかまれ、駅員室に連れられていき、全区間の料金掛ける3倍掛ける6カ月間の徴収となった。(計算ウソ覚えかも)。駅員さんは優しい人で、どこにも漏らしてくれることもなく、私は翌日、友人から借金して全額を払った。それがあの駅のいちばんの思い出だ。脇の甘い時代であり、調子に乗った私は小悪党だった。 そんなことで今のまっとうな私(?)がある。

 横浜の人は簡単に川越に行けるようになった。夜中に寝てしまわないことを祈る。ハイ、余計なお世話でしたね。
 日比谷線はどこへいくの。

 駅には風景がある。駅によって空気が違う。私は折尾駅(福岡県北九州)では、用もないのに降りてしまう。その駅に惚れてしまったからだ。
 駅は地下駅になった場合、それがなくなる。風景がないから、用がないと降りなくなる。淋しい。

 詰んでしまった都会は、やることがないからそんなことで散財する。ああ。
 歩きましょ。ロンドンもマンハッタンもトウキョウも。
 と言いたいところだが、トウキョウだけは広すぎるんですよね。ああ。

#id13030003 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起

2013年03月11日 11:54

重い、軽い。

 いきなり春模様の東京。カラダがうずうずしたので、墓参りに行き、ついでに鎌倉に寄ってきた。私は鎌倉駅から近い寿福寺がいちばん好き。臨済宗建長寺派で、密教気分満載。ここのビャクシンという老木(樹齢800年弱)4本が圧巻。参るぞ、驚くぞ。
 てなこと言って、鎌倉にはそんな大樹がごろごろしていて、ゼヒ小町通り以外、その周辺も散策していただきたい。ハイ。

 ニコリを通じて知り合ったある方が1月になくなっていたことを、ご家族からのお便りで知った。89才だった。学校長を退職なさってからニコリのパズル、折り紙、あやとりを目一杯楽しんで、私たちの羅針盤だった。彼のつくったパズルは商品でもあり、作品でもあり、芸術的であり、たくさんのファンがいた。合掌。

 黎明期のニコリ制作(出版方面で)を支えてくれたある方から、分厚い封筒が届いた。それは戦前中国東北部にあった満州国時代の体験記。創立8年、敗戦で閉学した「建国大学」の歴史でもある。86才のTさんの筆跡は力強い。


 三寒四温の中で温故知新。偶然、そんな今日である。

 昨日、調布飛行場ヨコの舗装道路の歩道脇の割れ目からツクシが8本、スクッと立っていた。まさに土の筆。
 ポン。
 今週の「名は体を表す」一等賞は「ツクシ(土筆)」に決定。

#id13030002 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起

2013年03月04日 20:50

ギャップ。

 昨日で終わった「王義之展」(上野国立博物館)は儲け物だった。ポスターのコピーは「書を芸術にした男」だったか。3,4,5世紀に草書体、隷書体、楷書体が意図(?)してできあがっていった、その圧巻の変遷スピードは展覧しながら興奮していったよ。まあ彼はアーティストだ、孤高の。それが宋朝体、明朝体につながっていくのだが、一人で書を「革命」しちゃったように思えた。
 彼の手紙、詩が、その書き文字が、彼が生きているときに賞賛されているのがいい。絵や音楽など、死んでから認められることが多い中で、書のナマの良さが改めて分かる。
 私も「お便り」をナマ文字で書こうかな、と思った。

 先日、会津大学に呼ばれてお世話になったジュンちゃん(40代前半、男)から地酒が送られてきた。ありがと、ジュンちゃん。彼のハガキが入っていて、これがまた字が汚いのなんの。うちのかみさんの次に下手。
 彼はコンピュータでヘルスケアや、地元の社会貢献仕事をやっている会社の社長で、民謡を踊るロボットを造ったりしている。大したもんだが、その書き文字とのギャップに笑ってしまった。

 思い出す。会津では、はるかちゃんにも会ったのだった。彼女は本州の最北端、尻屋という町の東通村(ひがしどおりむら)生まれ。20代前半、女性。寒立馬(かんだちめ)という、チョー足の短い馬と一緒に育ったという。
 ジュンちゃんたちとその晩、おでん屋で飲んだときに、はるかが言った。
 「カジさん、次は浅草で飲みましょう。近いんですよね」
 「おおう、すぐですよ。おいで」
 「あの駅の地下のタイ料理屋さんがとってもおいしいんですよ。そこでどうですか」
 「ハッ? あのお、あなた今、仙台だよねえ。生まれは青森だよねえ。そんでディープなタイ料理?」
 「いけませんか」
 「いやいや、あの、飲みましょう」


 ギャップはいろんなところにある。

#id13030001 | 雑ネタ | posted by 鍜治真起
end of entries.