1980年、春。地上に「パズルの雑誌」が顔を出した。28ページの誰にも威張れない薄っぺらな創刊準備号であった。2年間、地中で暖められたものだったが、迫力まるでなし。
さて、「パズル雑誌」の誌名を決めなければならない。「パズルマガジン」では面白くない。「クロスワードマガジン」は違う。いろんなパズルを載せたいし。
そんなときの朝。浜松町にある喫茶店「ドンバル」で、モーニングAセットを食べながら、スポーツ新聞を読んでいたら、競馬欄の3行記事が目に入った。
「今週行われるイギリスのダービーの一番人気はニコリ」
これだ、と思ったからしょうがない。あ、私の趣味は競馬です。
太ゴシック体の「ニコリ」という名前を見た瞬間に、カチンとハマってしまった。
これだよこれ。カタカナの字面がきれいで、響きも良いではないか。
頭の中の霧が瞬時に消え、胸のつかえがとれたよし、決めた。誌名は「ニコリ」だ。
しかし、パズルのパの字もないなあ。
その頃毎月買っていた「流行通信」の誌名が気に入っていた。「パズル通信」をくっつけてやろう。これならパズル雑誌であることが分かる。よし。
清水と樹村の反対はなかった。少し拍子抜けした。
ニコリ創刊号
1980年8月に出した創刊号、「パズル通信ニコリ」の初刷りは千部。奥付に「赤字覚悟大特価200円」といれた。48ページ建てでパズル満載なのだが、スルメのように薄い。でもいいのだ。精一杯つくったのだ。
しかし、書店を回るのが嫌だった。嫌で嫌で、もおお、嫌だった。
書店を探して歩くのが疲れるし、その上、頭を下げて頼まねばならない。挙げ句に断られてしまうのだった。
なぜ断られたのか?
あたってみなければわからないものだ。
良かれと思っていたメリットが、実はまったくそのままデメリットとして、非難、投石の材料と化したのだ。
判型が変わっているのは棚に並べにくい。
値段が安いのはいくら売れても儲けにならない。
薄いからパンフレットと間違えて持っていかれる。万引きもしやすい。
決定的なのが次だ。パズルの雑誌なんてウチは扱ったことないからいいよっての。あたりまえだっつうの。今までそんな雑誌、ないんだから。