動いてみるといろんな反応がある。つくったパズルにも様々な反応があって、自分たちが素人であることを実感していく。
舞い込んだ手紙の中に、Mさんのものがあった。Mさんは、大阪の友人からニコリのことを知った。友人はキディランド梅田店で創刊準備号を手に入れたらしい。
Mさんは「数芸パズル愛好会」と「パズル懇話会」の会員で、虫食い算の大家でもあり、その道では有名な人だった。私たち3人が初めて出会った、本格的なパズル作家だった。
茅ヶ崎市に住むMさんにお会いして初めて、パズルの面白さ、奥深さを知った。デリケートでスマートで、ユーモアのあるパズルこそ、人を魅了し、満足してもらえるのだ、と教わった。何となく感じていることを言葉で具体的に落とし込んでくれた。このとき、ニコリの方向性が決まった。
Mさんのおかげで、次の2号から数理系のパズルを筆頭に、王道の誌面が広がっていくことになる。ユニークなパズル作家と出会うことにもなる。
茅ヶ崎駅前の喫茶店で聞かれた。
「この本、茅ヶ崎の書店においてあるんですか?」
「いいえ、まだ行ってないんです」
「じゃあ、行きましょう。南口には3軒あるんですけど、みんなよく知っていますから」
「は、はい」
Mさんのあとにくっついていき、売り込みを全部Mさんにやってもらった。3軒とも二つ返事でおいてくれた。
「あら、そう。売れるといいわね。がんばってね」
拡販も手伝ってもらったのだった。申し訳ないほど消極的な私であった。
この年(1980年)の秋に創刊2号を出した。
この号から、ニコリがおいてある店を「出張馬房」といって載せた。全国(?)で30店だが、書店に限ると20店しかない。あとは行きつけの喫茶店、親戚が営んでいる商店、友人のクリーニング屋、パーマ屋、自宅近所の酒屋などである。
1980年は、創刊準備号、創刊号、創刊2号の3冊を出して終わった。