1986年(昭和61年)から新書版のペンシルパズル本シリーズを年に2回、一度に2冊発刊する。読者の「もっと欲しい」と言う声とこちらの「もっと面白くさせたい」願望が一致した結果のシリーズであった。その新刊配本をやっと終えた頃に面白い電話があった。「カックロを錦糸町の本屋さんにいれてください」という年輩の男性からの電話だ。その書店には初回20部を送っているぞ。もう品切れ?

「あ、私一度に7冊買ったんです。友だちにあげて自分はボールペンでうめていくので3冊終わってもう1回やりたいのでいれてほしいんです」

面白いというか、あきれてしまったというか。そうかと思うと鉛筆で解き終わったお父さんは子どもに500円あげてゼンブ消してもらっているという、そんなハガキも舞い込んだ。それならもう1冊買ってよ。

もっと面白くさせるために1人5役を、1人2役くらいにするかなあ。できるかなあ。あ、会社のことです。

「もうちょっと分業化するかな」

「そうするか」

「何の問題もないよな」

「スペースが」

「なんとかなるだろ」

思い切って社員を募集することにした。経理事務、営業、雑務も。このときもま、激動の時代だろうか。しかし路線変更はまるでないので気分はラク。この参宮橋時代の4年間にいちばん印象に残っている仕事といえば「立体メイロ」の設計をしたことだろうか。

人が木の壁でできたメイロを歩き、チェックポイントでスタンプを押して出てくるというやつだ。ちょうどブームになりかけの頃、あるプロデューサーが現れ、日本一でかいのをつくりたいと言う。小田急線の新百合ヶ丘駅前にある8千坪の空き地につくりたいと言う。大丈夫ですよ、カンタンですよ、と私と金元で3階建ての部分もあるどでかいメイロの設計をしてしまった。そしたらできてしまい、毎月ルート変更もして2年半続いた。よこちょでパズルショップも経営してしまった。

そうか、出版以外にもパズルの頭で成り立つ商売があたりまえにあるんだな、と思った。ショップは赤字続きでやるんじゃなかった。今思えばバブルの成せるレジャー施設であった。