11月2日(木)

 朝から喫茶店で数字入れの続き。
 ちょっとメインルート作りに疲れたので、ミニゲーム的、というか、曲芸的な部分をいくつか作る。
 手筋としては快感が得られるようなものではなく、どちらかというと目で楽しむ感じのものだが、いろいろパターンがあったほうが解き手も飽きないだろう、という、まあ、サービスのつもりである。

 隣りのおやじ二人の名古屋弁丸出しの競馬談義を聞きながら数字を入れていったら、なぜか強烈に難しい部分ができてしまう。
 一応、別の紙にその部分だけ書き写し、解き味を確認する。
 とりあえず別解なく解けるが、難易度的にはやや上限を超えている。うーむどうしよう。
 しかし難易度が高いのを喜ぶ解き手もいるらしいのでそういう人へのちょっとしたサービスとして残しておくことにする。とりあえずその部分が解けなくても他の部分に影響しないように慎重に周囲を調整。

 もう一つミニゲーム的な部分を作ってみたが、ことのほか解き味がさくさくして良かったので、メインルートに組み込むことにした。
 数字の「1」の使い道に新たな発見をしたが、たぶんこんなのは多くの解き手が知っていることなのだろう。
 しかし何百問もスリリンを作ってきて、いまだに新たな発見があるというのは、どういうことなのだろう。
 スリリンの奥が深いのか、あるいは僕に進歩がないのか。

 ちょっとした仕事の連絡など用事を済ませながら作業をしていたら、あっという間に夜になった。今日は某女史は帰りが遅くなると言っていたので、夜も集中して作業ができる。嬉しい。

 というわけで、夕食をとるべく、前日にチェックしておいたラーメン屋に足を運んでみるが、なんと連休中は都合により休みと張り紙がしてあった。くそ。仕方ないのでいつもの喫茶店にいき、カツサンドを食す。4日目にして食べ飽きてきた気がするが、ラーメン屋と喫茶店しかない住宅街なのである。やむを得ない。

 なんとなくうまく行かないなりにもだらだらと数字入れを継続。
 特に本線にする気もなく、凝った作りでもない左下部分をだらだらと埋める。案外こういう態度で作った部分というのはスピード感あふれるいい味の盤面になることが多い。
 緊張感を持続させつづけてもいい作品ができないというのが経験的な結論である。たぶん解き手と作り手の間の心理的な差に関係しているのだろう。もちろん全体の構成に関わるような部分では慎重さが要求されるけれど。

 隣りにヤンキー風のグループがやってきて、だべり始める。
 時折携帯で仲間を呼ぶらしく、最初3人だった面子が、4人、5人と増えていき、最終的には7人になった。
 どうも全員同じ塾に行っているらしく(きょうびのヤンキーは塾などにも通うのである)、塾の講師の悪口などに花を咲かせているのだが、「あいつ、でらすいとるよね~(注・名古屋弁で「ひどく生意気だ」の意味)」などと微妙に名古屋弁が入るので、聞いている方はやや勘が狂う。
 まあそれはそれでいいのだが、鼻にピアスをした不良高校生の通う塾の名前が「がんばる学園」なのはどうしたものだろうか。
 笑いをこらえるのが大変なのだが。

 というようにほとんど無意識で手だけを動かしていると前に作っていた部分といつのまにかつながってしまい、青ざめる。俗に「ウチソト判定」と言われる問題があるので、並行して作業を進めている二つの部分がくっつくときには慎重にラインの流れを決めて行かないと妙なことになってしまうのである。
 最悪作り直しだ・・・と思ってチェックしてみると、偶然ウチソトは正しくついていた。良かった良かった。

 このアクシデントで少々気を改め、やや慎重に作り始める。
 ついつい複雑なラインどりを狙ってしまったりして逆にハタンする、というパターンを繰り返す。ちょっと難易度も上がりすぎているような気もするが、まあ全体のチェック時に修正できる範囲内と判断し、あえて部分チェックをしないで過ごす。飽きのこない盤面を作るためにはいつも同じ気分でやってたらだめなのである。

 という感じでだらだらと10時近くまで作業し、だるくなった頭を休ませていると、くだんの女史が酔っ払った顔で喫茶店に入ってくる。職場の上司に付き合わされた模様である。
 何か飲むか勧めてみると、「食いすぎた。もーなんにもいらね。」とのたまうので、そのまま会計をして帰った。
 明日は二人で岐阜のとある家族の訪問で一日つぶれる予定である。
 本当は移動中にも作業を進めたいが、運転中は彼女の無駄話につきあわなければなるまい。しかしこんなペースで終わるのだろうか。まだ数字は盤面の1割程度しか埋まっていないようだが。