1978年のある晴れた日に、JR山手線浜松町駅近くの喫茶店で、私と清水眞理は仕事の打ち合わせをしていた。
私は印刷会社のサラリーマンで、進行管理アンド雑用に明け暮れていた。清水はイラストレイターで、マンガも描いていて、その日は挿絵の受け渡しだったか。
仕事の話も終わると、彼女はポンと、見たことのない雑誌をテーブルに出した。
「私の友達がアメリカのお土産っていってくれたんだけど、こんな雑誌って日本にあるの?」
それは「Variety Puzzles」というパズル雑誌だった。
「聞いたことないなあ」
「売れないかね」
「どうだろう。でも日本にないっていうなら面白いね。マニア向けだろうから1000部とか2000部の世界だろうなあ」
2人とも英語が分からないので、パズルに手をつけるということはなかった。クロスワードの他にもいろんな種類のパズルがあるんだ、ということだけ分かった。
清水は漫画家になりたい、私は何でもいいから雑誌を出したい、というのが夢で、お互いにそのことは知っていた。
彼女はその後、姉の樹村めい子に見せた。
樹村は「頭の体操」に似たような本を何冊か遊んでいたらしく、雑誌にあるクロスワードや懸賞パズルは易しすぎてつまらん、読者をバカにしている、と常々思っていたらしい。だからパズル雑誌にはピンときたようだ。